2009年10月24日土曜日

つぶやき

  • いわゆる頑張りましたが駄目でしたという発言も個々人の主観であり容易く信じるワケにはいかない
  • なるほど世の中は理不尽ではあり、幸も不幸も唐突にやってくるものだ、
  • 努力の結果ますます駄目になるというのはあるだろうが
  • ただ頑張りましたが、駄目でしたなどいう人には、責任があるだろう。つまりその頑張った分の力量を持ってないといけない。
  • 努力というのは具体的なものであるから、それはつまり能力や、ある程度の成果にはねかえってないとおかしいはずだ。ひたすらモノを作ったとか、ひたすら流れを改善したとか、ひたすら体を動かしたとか。そういったいみで努力は無駄にはならない。
  • ひたすら、悩みましたとか、まわりの環境がひどいので、ふさぎこんでました、がんばってる人のまわりでビクビクしてました。悪口をあちこちで言われて嫌な思いをしました。いわれたことをやるのに手一杯でした。他には何かあるかな。ひらたくいうとそれは努力ではないし。
  • でも悲しいかな、ヒトは頭の中で状況に対して愚痴をたれてるだけで頑張ってる気になってしまう生き物なのだ。だからわたしは他人の口から簡単に出る「努力した」という言葉を信じることができない。
  • そして自分はたいした努力はしてないな

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